大阪家庭裁判所 昭和40年(家)4177号 審判 1966年4月12日
申立人 村山花子(仮名)
相手方 木原明男(仮名)
主文
相手方は申立人に対し金三〇万円を支払え。
理由
申立人は相手方が申立人に対し離婚を原因とする財産分与として、金一〇〇万円を支払うことを命ずる審判を求めた。
よつて調査した結果当裁判所が認める事実及び乏に対する判断は次の通りである。
一、申立人と相手方とは申立人が大分県中津市のキヤバレーで女給をしていた項、その店で知り合い昭和二一年秋から同四〇年六月四日まで同棲し、その間同二三年一月一九日婚姻届出を了し、同年同月一一日長女昌子を、同二五年一一月長男一郎を、同三一年九月二一日二女美子をそれぞれもうけたが同四〇年七月一〇日協議離婚した。
二、両者は昭和二六年五月頃迄大分県に住んでいたが、その頃から夫婦関係に円満を欠き、そのため申立人は暫々家出した。家出の原因は申立人の主張によれば当時同居していた相手方の母や弟達との折合が悪かつたことと、相手方の素行が悪かつたことにあるといい、相手方の主張によれば申立人が強情気ままで協調性を欠いたからだという。それはともかく相手方はそれまでの不安定な生活を清算する目的で昭和二六年五月単身上阪して○○商店に勤務し、翌二七年夏申立人も昌子・一郎を伴つて上阪し大阪市内玉造で同居した。
三、右同居後も両者の間には風波が絶えず、昭和二八年春から約一年間事実上の離婚状態をつづけ、その間相手方は他の女性と夫婦に近い生活を送つたこともあるが、双方間にはなお幾分の愛情が残つていたものと見え、どちらから求めたということもなく同二九年復縁した。しかしその後も両者の関係は改まらず、喧嘩口論を日常茶飯事としていたが終に同四〇年六月四日些細なことが原因となつて最終的に袂を分ち、間もなく協議離婚届出をするに至つた。
四、右破綻の原因として相手方は申立人の強情気まま、非家庭性を挙げる。例えば家計簿をつけないこと、相手方が働きに出ようとしているのに弁当も作らず、そ知らぬ顔で布団にもぐり込んでいるのが常であつたこと等である。他方申立人は右破綻の原因として相手方の冷酷非情、素行不良を挙げる。例えば、体の調子が悪いときでも申立人に対し、働くことを強要し、応じねば暴力を振い、子供の前で申立人が売春婦であつたといつて罵り、他の女性と私通し、しよつちゆう泥酔する等である。
思うに申立人は大柄で強健な身体の持主であるが、論理的思考より感情に支配され易く、而も智力に自信を持つているせいか理窟が多く、多弁でありその態度はむしろ傍若無人である。従つてその家庭内における振舞は相手方主張の如く非家庭的であり、夫をいらだたせるものがあつたと想像される。之に反し相手方は中肉中背で理論的に物事を考える性質であるが、その意思はきわめて強く、容易に自己の主張を曲げないところがある。従つて申立人と衝突したあげく、腹立ちまぎれに暴力を振い、暴言を吐き、泥酔したこともあつたと考えられる。それらの個々の出来事を全体として観察すれば両者破綻の原因は帰するところ双方の強情な性格に求める外なく、そうだとすれば、離婚につき申立人と相手方との間で責任の軽重を分つことはできないから結局本件財産分与においては慰籍料的要素を考慮する必要はないものと考える。
五、申立人は相手方と別れた後前記昌子、美子と共に四畳半一間のアパートに居住し、昭和四〇年一二月迄は中華料理店に勤めていたが、同四一年一月以降無職となつた。しかし将来マッサージ師になるつもりで同年二月以降マッサージの技術習得にはげんでいる。同女は生活力旺盛なので乏につき離婚後の扶養を考える必要はない。又昌子及び美子の養育科については元来財産分与とは別箇の問題であるのみならず、別に扶養の申立がなされているので本件において考慮する必要のないこと勿論である。
六、相手方は前記○○商店で皮製袋物加工の職人をしていたが、頭が切れ腕が立つので昭和三四年五月頃独立し、現在に至つている。事業の内容は皮製ケースを動力ミシンで縫い上げその加工賃を獲るものであるが、独支当初申立人は集金、配達、伝票の整理、ミシンがけの一部等を、相手方は力仕事の全部を担当、夫婦二人だけで経営し、昭和三七年多田節子を雇い入れてからは加工は多田と相手方とが行ない、申立人は集金、金融、注文取り等の外廻りの仕事を自らオートバイを操縦して行うようになつた。その前後を通じ経理は専ら申立人が処理しており、それに関する帳簿をつけなかつたことが両者反目の原因ともなつている。申立人は男まさりであり、働き手であつたから上記事業の維持発展に貢献した程度は相当高かつたと考えられる。なお右の外家事労働は申立人が之を担当したことはいうまでもない。
七、上記事業は大体順調に推移し、独立当初借り入れた五〇万円の借金はまたたく間に返済した上昭和三八年一一月から離婚直前の同四〇年五月二一日迄二五回に亘り近畿相互銀行東天王寺支店に相互掛金住宅プラン預金と称する一回金二万五、〇〇〇円の預金を相手方名義でし、その合計額は離婚当時六二万五、〇〇〇円に達していた。その他の預金、売掛金債権の額、在庫品の価格等を合算すると、離婚当時相手方名義で有した財産の総額は一三四万余円を下らぬものと見積もられ、それらはすべて上記事業により産み出された利益である。他方相手方は上記事業より生じた六〇万余円の額の買掛金債務を負担しているので、前者から後者を差引いた残額である約七四万円が分割の対象たる共通財産の額となるのである。
八、ところで申立人が上記財産の獲得に寄与貢献したことは前認定の通りであるが、それにより右財産上に有すべき潜在的持分の割合を定めることは容易でない。当該判所は上記申立人と相手方との働きぶりの外、上記事業が、相手方の習得した技術と獲得した信用とを基礎として成り立つている点をも考慮した結果、右の割合を四割と判定し、上記共通財産の価額に対するこの割合による金額である二九万六、〇〇〇円を基礎とし、之に最も近いラウンド・ナンバーに相当する金三〇万円を相手方が申立人に対して支払うべき財産分与の額と定める。
(通常の債権債務につきこのような操作を行うことは許されない。けだし債権債務の額は発生原因により非裁量的に確定しているものだからである。これに反し財産分与においては、その額は裁判所の判定によつてはじめて確定する。但しその判定は合理的根拠に基くことを要するのであつて前記潜在的持分の割合を勘定したのはこの合理的根拠を得んがための努力に外ならない。しかしながら右の割合を精密に算定することは多くの場合不可能に近く、上記具体的数字は大よその見当を示すものにすぎないし他方数字を扱う上においてラウンド・ナンバーを用いることの利便はいうまでもないことであるから、分与額を定めるに当り、なるべく之によろうとするのもまた自然であり合理的である。かくて持分率を正確に反映しようとする要請と、ラウンド・ナンバーによろうとする要請と、両つながら合理的な要請の調和点として持分率によつて算出した額を基礎とし、当事者の権益に著しい影響を与えない範囲内において、最も近いラウンド・ナンバーを求め、これに合せて分与額を決定する操作が行われても差支えないであろう。本件における上記操作はこの観点から許さるべきであると考える)
九、このようにして本件財産分与は純然たる共通財産清算の性質を有するものであるから、相手方が目下肺結核を患つていて充分働くことができないことや、申立人と同棲した直後自作農創設特別措置法第一六条の規定により売渡を受けた農地を現に所有していること等は右分与の額に影響を与えるものではない(申立人は右農地の維持には会く貢献していない)。又相手方は前記事業から生ずる利潤は相当多額であり、之を積立てれば離婚時二〇〇万円の額の貯金が出来ていた筈であるのに前認定の通り少額にとどまつたのは、申立人が会計帳簿を作製して収支を明かにすることを頑強に拒み、かくてひそかに所請へそくりを貯えたためであると主張するけれども、この事実を認めるに足る証拠はないから、右主張を採用して前記財産分与の額を減額する根拠とすることはできない。
よつて相手方に対し離婚による財産分与として上記金三〇万円を申立人に支払うべきを命ずることとし主文の通り審判する。
(家事審判官 入江教夫)